お知らせ
令和3年
3月30日
久能山城(久能城)御城印頒布について
この度久能山東照宮では、武田信玄公生誕500年を記念し、久能山城の御城印を頒布することといたしました。
【頒布期間】
令和3年4月1日から限定3,000枚(用紙のみの頒布)
【頒布場所】
久能山東照宮博物館受付
【頒布初穂料】
1枚 300円
【久能山城(久能城)について】
久能山東照宮が鎮座する場所は有度丘陵の一部で、北側は屏風谷と呼ばれる急峻な地形により孤立した峰(216m)となっており、南側からは駿河湾を一望できる。
7世紀頃には寺院が建立され、衆徒1,500人を数える大寺院であったが、前述の通り天然の要害である事から戦乱の際には兵士が立て籠もる臨時の要塞にもなった。永禄11年(1568)には駿河に侵攻した武田信玄公が、当山の事を聞き寺院を移動させ城を築く運びとなる。
『甲陽軍鑑』に「駿河に久能、甲州に岩殿、上州に吾妻」と並んで三名城と称されていた。武田家滅亡後は徳川領となり、織田信長公が甲州より帰還の折に当城へ立ち寄った記録も残っている。
領国移動等により徳川家から離れるが、慶長5年(1600)での関ヶ原の合戦勝利後に再び自領となった。家康公も当城堅固の様子を見抜いており、薨去の際には城主であった榊原照久に「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と言われたと伝わっている。家康公の御遺骸が埋葬され、城から東照宮へと移り変わる事となる。
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